<追悼>赤﨑勇名城大学終身教授?特別栄誉教授
ノーベルレクチャー講演概要 『青色光に魅せられて』
2014年12月8日
私の名前は、赤﨑と言います。赤は英語で"Red"を意味しますが、本日は青色発光(Blue Light)についてお話しします。
赤色および黄緑色のLEDは1960年代に実現されていましたが、実用化レベルの青色LEDは1970年代に入っても実現されていませんでした。青色発光素子(デバイス)を実現する上で最も重要なことは材料の選択です。LEDなど半導体発光素子による発光の光子のエネルギーは、用いる半導体のバンドギャップエネルギーにほぼ等しくなります。青色光の波長は450~480 nmで、これは2.6~2.8eV(電子ボルト)に相当します。
したがって、高性能青色発光素子を実現するには、[A]バンドギャップ(エネルギー)が2.6 eV以上のワイドギャップ半導体(シリコンのバンドギャップが1.1 eVであることから、一般的にはその2倍の2.2 eV以上のバンドギャップを、ワイドギャップと呼ぶことが多い)の使用が必須です。さらに、半導体発光素子では、半導体内で励起状態にある伝導帯電子が基底状態である価電子帯に光を放出しながら緩和する過程を利用します。したがって、伝導帯の底にある電子と、価電子帯の頂上にある正孔の運動量が等しい[B] "直接遷移型半導体"を用いる方が(高い発光再結合確率が得られるため)断然有利です。すなわち、材料選択としては上記の[A]および[B]を満たすことが必要条件となります。
しかし、これだけでは十分条件ではありません。[A]、[B]を満足する半導体の[1]高品質の単結晶と、[2] pn接合という構造を実現しなければなりません。半導体には、正孔(電子の抜けた孔)が電子より多い(電気的にプラスの)p型半導体と、電子が正孔より多い(電気的にマイナスの)n型半導体があります。原子が整然と配列した単結晶の、ある原子面を境に片側がp型、他方がn型半導体で構成された構造をpn接合と呼び、これにより高性能な発光素子、太陽電池やトランジスタなどを実現することができます。pn接合LEDに、順方向電圧をかけることによって、電子はn型層からp型層へ、正孔はp型層からn型層へ注入されます。そして接合付近で電子が正孔に結合(再結合)し、エネルギー保存則を満たすように光を放出(自然放出)します。
1960-1970年代、青色LED用材料としての候補としてはZnSeとGaNがありました。両材料とも、バンドギャップエネルギーが2.6 eV以上で且つ直接遷移型の半導体であることから青色LED材料としての必要条件は満たしています。
しかし、両材料とも単結晶の作製も、pn接合の作製も当時は不可能でした。単結晶作製が困難な時、異種材料の単結晶を基板として、その上に望みの単結晶膜を成長させる"ヘテロエピタキシャル成長"がよく行われています。この場合、高品質エピタキシャル層(単結晶)を得るためには、格子定数が成長結晶のそれに極めて近い結晶を基板として用いることが不可欠です。GaAsの格子定数はZnSeのそれにきわめて近い値です。したがって、当時、青色発光素子の実現を目指す大部分の研究者はZnSeの研究に取り組んできました。しかし、私はZnSeには安定性に不安を感じていました。
一方、GaNは物理的にも化学的にも極めて安定な材料です。1960年代末から1970年代初頭に、当時RCAグループがMIS構造(pn接合ではない)のGaN青色LEDを開発しました。この報告により、GaN青色LEDの研究開発が世界中で活発になりました。しかし1970年代中盤になると、高性能青色LEDの実現に不可欠な高品質単結晶およびpn接合が作製できず、また、GaNやZnSeのようなワイドギャップ半導体では自己保償効果のためp型結晶実現は不可能という理論的考察の報告もありほとんどの研究者がGaN発光素子の開発を断念してしまいました。
その様な閉塞状態の中、"タフ"で、ZnSeよりバンドギャップが大きく、しかも毒性のないGaNに大きな可能性を直感し、当時松下電器東京研究所に勤めていた私は、1973年に前人未到の『GaN系窒化物半導体のpn接合による青色発光素子の実現』への挑戦を開始しました。
1973年分子線エピタキシー(MBE)法で、1975年からは主に、ハイドライド気相成長(HVPE)法でGaN結晶の作製を開始しました。そして、1978年には選択成長によって簡便なプロセスでMIS型LEDを作製する方法を開発し、(1989年にpn接合青色LEDが実現されるまでは)当時世界最高の発光効率をもつMIS型青色LEDを開発しました。しかし、これは私の目指すpn接合型ではなく、世界の反応も、芳しいものではありませんでした。
しかし、この研究の過程で、私はGaNの青色LEDとしての大きな可能性を再認識したのです。ある日、クラックやピットだらけのウェハーを蛍光顕微鏡で観察していたとき、ごく稀に綺麗な微小結晶が混じっていることに気づきました。一瞬瞳を凝らすと、きれいに光っており、GaNの青色発光素子用材料としての大きな可能性を直感しました。そして、なんとかして、ウェハー全体を、この綺麗な微小結晶と同等の品質に作ることができれば、電気伝導制御(p型伝導も)も実現可能と考えました。こうして、『鍵は結晶成長だ』と確信し、1978年、もう一度この研究の原点である"結晶成長"に立ち返ることにしました。これは、私自身のGaN青色発光素子研究開発のみならず、世界のGaN研究開発における「岐路」であったと思います。
結晶の品質は、成長法と成長条件に大きく依存します。GaNの結晶成長法としては、MBE法、HVPE法の他、有機金属化合物気相成長(MOVPEまたはMOCVD)法があります。MBE法は高真空中の成長であり、窒素蒸気圧が極めて高いGaNでは窒素抜けが起こりやすく、また当時は成長速度が遅くGaN成長に適しているとは思いませんでした。HVPE法は、ナノメートルオーダーの結晶の成長を制御するには成長速度が速すぎ、また「逆方向の分解反応を伴うので、高品質化には不向き」と考えました。一方、MOVPE法は1971年、H. M. ManasevitらがGaN成長に初めて試みましたが、良い結果が得られず、その後GaN結晶の作製には全く用いられていませんでした。しかし、これは「単一温度領域での不可逆熱分解反応を用いる方法で逆方向反応はなく、成長速度や、不純物ドーピングさらにAlGaN、GaInNなど混晶の組成制御も、原料ガスの流量を制御することによって容易に行えることから、サファイアのような格子不整合の大きい基板上へのGaN成長には最適と判断し、松下電器東京研究所時代の1979年に採用することに決めました。この選択が間違いでなかったことは、今日、GaN系の結晶や素子が、ほとんどMOVPE法で作製されていることからも明らかです。
この重要な決断の後、1981年に名古屋大学に戻り、直ちに頑張り屋の大学院生小出康夫院生(当時)および天野浩院生(当時)とMOVPE装置を自作しGaN結晶成長に取り組みました。しかし、MOVPE法でも均一なGaN結晶はなかなか得られませんでした。試行錯誤を繰り返し、反応管と成長条件に大きな工夫?改善を行いました。 第一の改善は、原料ガスである有機金属化合物[GaN成長の場合、トリメチルガリウム(TMG)]とアンモニア(NH3)及びキャリアガスの水素(H2)を反応管入口の直前で混合し、管内での(TMGとNH3の反応による)中間生成物の発生を抑制することにより、原料の利用効率を高めました。さらに、これら原料ガスとキャリアガスの混合ガスを、ガス導入管を通して45度傾けた(それまでは、基板は水平)基板上に、約110 cm/秒(それまでは2 cm/秒)という高速で吹き付けました。これらの改善により、ガス流の高温基板上での対流を抑制し、ガス流をスムースにすることによって、均質なGaN膜が得られるようになりました。しかし、膜厚はウェハー全体ほぼ均等になりましたが、多くのピットやクラック(マクロな欠陥)は残っており、電気的特性や光学的特性もそれほど向上せず、不純物や格子欠陥が多いことを示唆していました。これは主に、GaNとサファイアの間の格子定数差(16.3%)が極めて大きいため、両者間に存在する大きな界面エネルギーに起因しているであろうと考えました。実際、半導体結晶のエピタキシャル成長では、Si上のSi成長のような「格子整合」が金科玉条とされており、ヘテロエピタキシャル成長の場合、格子不整合が1%程度でも良質結晶の成長は困難です。
私たちはこの大きな格子定数差による困難を克服するため、1985年に"低温堆積バッファ層技術"を開発しました。この方法は、GaN単結晶層の成長直前に、GaNの単結晶成長温度(最適なエピタキシー温度:通常は約1,000℃)より数百度低い温度で、GaNや基板材料と物理的性質の良く似た材料をバッファ層として 、(基板の結晶学的情報のエピタキシャル成長層への伝達を妨げない程度の厚さに)薄く(50nm程度)堆積し、その後最適なエピタキシー温度(約1,000℃)に昇温してGaNの単結晶成長を行う」手法です。
このようなバッファ層材料の候補としてはAlN、GaN、ZnO、そしてSiCを考えていました。天野浩君が1985年にはじめて低温AlNを用いたバッファ層の上にGaN単結晶成長を行い、無色透明?鏡面の高品質GaNを実現しました。また、ガス流速を約430cm/秒とさらに高速にして、さらに結晶均質化も行いました。基盤となる技術は、低温AlNバッファ層を用いること、さらに先述のガスの流速の高速化および基板を傾けることです。詳細な実験経緯等は、同時受賞者の天野浩教授から説明があるかと思います。
このように天野浩君が作製した結晶は、無色透明?鏡面であり、結晶学的、電気的並びに光学的特性など全ての重要な特性が、同時に、従来に比べて飛躍的に向上しました。度重なる失敗を乗り越え、最適条件を見出した天野浩君の執念の賜です。
これは1973年から私が夢見たことが実現されたことであり、私は、この理想的なGaN結晶を目にしたときの感動は今も忘れることができません。 今日では、MOVPE成長法では低温バッファ層技術は高品質GaNやその混晶の作製法として不可欠な方法となっています。 この低温バッファ層を介して成長したGaN結晶の成長モデルに関しては平松和政助手(当時)を中心に検討を行いました。直接成長では界面エネルギーの影響による不規則な結晶核が形成され、凹凸の激しい結晶しか得られません。一方、低温バッファ層を用いた場合は、均一な結晶核が形成され、2次元に横方向成長し、最終的に平坦な膜になるということが確認できました。また、透過電子顕微鏡での観察によると、「基板界面近傍には多数の欠陥が発生するが、次第に少なくなり2~300nmより厚い膜は平坦化し、結晶中の欠陥密度は非常に低くなっていること」が確認できました。
次に、p型GaNの実現について説明します。低温バッファ層を用いることによって高品質GaN結晶を得ることに成功後、直ちにp型伝導の実現に向けて実験を開始しました。バッファ層技術を用いて作製した残留ドナー密度の低い高品質結晶に亜鉛(Zn)添加実験を行いました。Znは、他のIII-V族化合物半導体ではp型結晶を得ることが可能な不純物として広く知られていましたが、GaNでは高抵抗化するだけで一向にp型結晶は得られませんでした。1988年、このZnドープ高品質GaNに低速電子線を照射して、Znの関与する青色発光特性を調べている時、スペクトルは不変のままで、強度が著しく増大する現象(LEEBI効果と名付けました)を、天野浩君が実験中に偶然見つけました。これは試料のフェルミ準位が変化しているに違いない(p型に変化している可能性がある)と思いましたが、試料はp型伝導を示しませんでした(2014年現在でもZnではGaNのp型伝導は報告されていません)。
J. C. Phillipsの著書(1973年)によれば、Mg原子の電気陰性度と(置換されるべき)Ga原子の電気陰性度の差は、Zn原子のそれより小さいことから、MgがZnに比べてより活性化しやすいのではないかと私たちは気づきました。1989年はじめに、鬼頭雅弘院生(当時)がCP2Mgを用いて、高品質GaNへのMgドーピングを行いました。その試料をLEEBI処理して、Mgの関与する青色発光強度の著しい増大(LEEBI効果)とともに、その試料は低抵抗のp型結晶に変化していることを確認しました。
直ちにpn接合型GaN系LED を試作し、LED特性を評価したところ、それまでのMIS型LEDでは見られない見事な電流-電圧特性を報告しました。このpn接合GaN LEDからの眼に沁みるような青色発光は私の研究人生の中でも最も思い出深い出来事の一つでした。また、1991年にはp型AlGaN、1995年にはp型GaInNも実現しました。
一方、n型結晶の電気伝導度について、実用上新たな問題に気づきました。低温バッファ層の導入により、残留不純物濃度が著しく低減したため、n型GaN結晶が高抵抗化したのです。実際のデバイス作製においては、素子抵抗率低減、さらには伝導率の異なるn型層が必要となるので広い範囲にわたって伝導率を制御する必要があります。そこで、低温バッファ層により作製した高品質GaN結晶に、不純物を添加することによる電気伝導度制御の方法を検討しました。シラン(SiH4)ガスを用いてSiをドープすることにより、n型結晶の伝導度を広い範囲に制御することに1989年に成功しました。また、この手法はAlGaNにも適用可能であることを1991年に確認しました。これらは 現在のLEDやレーザダイオードに用いられているダブルヘテロ接合や量子井戸構造では必須の技術となっており、現在広く用いられています。こうして1989年までに、GaN系pn接合型の発光素子及び電子素子の実現に必須の全ての基礎技術を達成しました。
続いて1990年には、バッファ層技術による高品質結晶を用いて、レーザ発振に必須のGaNからの誘導放出を、室温では初めてしかも従来より2桁低い光入力パワーで実現しました。そして、1995年にはAlGaN/GaN/GaInN量子井戸を用いた電流注入誘導放出(世界初のGaN系レーザダイオード)を、1996年には青色光よりさらに短波長の376nmの紫外レーザダイオードの実現に成功しました。
本講演をまとめます。まず現在のGaN系窒化物半導体の現状からお話しします。Web of ScienceでGaN系半導体に関するキーワードで検索すると、2012年には年間3409編の学術論文が発表されています。この学術論文数は、1つの材料系での論文数としては極めて多い部類に属します。一方、私たちのグループが高品質GaN結晶を実現した1985年の論文数は1/100程度に相当する35編でした。学術論文数は、1989年をターニングポイントとして急速に増大し、1991年には220編、その5年後の1996年には約1000編まで急増しました。この事実は、低温バッファ層による高品質GaNの作製技術(1986年)、p型伝導の実現(1989年)とpn接合GaN系青色LEDの実現(1989年)が、学術的にも実用上も極めて重要であること物語るものだと思います。また、現在の青色LEDの基礎技術の大部分は私たちの研究グループから発信しており、この分野の発展に大きく貢献できたのではないかと思います。また、GaN系pn接合型LEDは、環境や省エネ技術など人類に利益をもたらすものとして現在も発展し続けており、今後さらなる新領域デバイスの創出などさらなる発展が期待できます。
謝辞
これらの成果は、松下電器東京研究所の仲間や、名古屋大学、名城大学、天野浩君や小出康夫君をはじめとする、多くの学生や共同研究者の多大な貢献の賜です。本研究では、豊田合成(株)、豊田中央研究所、さらにはJSTとの産官学共同研究において多大な協力を頂きました。また、通商産業省(現:経済産業省)、文部省(現:文部科学省)?科学研究費補助金、JST、日本学術振興会?未来開拓研究、文部科学省?ハイテクリサーチセンターをはじめ多方面からの援助を頂いております。
今日まで、私を導き、支えて下さいました多くの方々に、心から感謝の意を表します。
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