移行用/欧洲杯足球网_十大博彩公司-投注官网 「諦めなければ道は開ける」赤﨑終身教授が気仙沼市の小中学生に色紙
東日本大震災で大きな被害にあった宮城県気仙沼市の子どもたちを励まそうと、同市内の全小中学校31校に3月4日、赤﨑勇終身教授の色紙が贈られました。色紙に書かれた一文は、赤﨑終身教授の不屈の精神の象徴ともいえる「諦めなければ道は開ける」。名城大学では2011年3月11日の東日本大震災以降、学生たちが気仙沼市大島で復興支援のボランティア活動を続けてきましたが、色紙は、大学側がノーベル物理学賞を受賞した赤﨑終身教授に執筆を依頼、赤﨑終身教授が快諾し、したためました。
贈呈式は31校(小学校18校、中学校13校)を代表して気仙沼小学校で行われました。山崎昭校長、6年生3クラスの代表児童に、大学から出向いた学務センターの青山和順課長が、色紙を贈呈することになった経緯を説明し、中根敏晴学長から気仙沼市の小中学生あてのメッセージを読み上げ、赤﨑終身教授直筆の色紙のコピーとスウェーデンでの授賞式に臨んだ赤崎終身教授の写真が入った額を贈りました。
卒業を迎える6年生たちは2年生の時に大震災を体験しました。児童代表の3人は、テレビ局3社、新聞社3社の取材に対し、広瀬史華さんは「テレビで見た方から、こんなすごいものをもらえるなんて思ってもいませんでした。あきらめずに、これからも頑張っていきたいと思います」と感想を語りました。自宅が流され、住みなれた学区からの引っ越しを余儀なくされた畠山光太郎さんは「ノーベル賞を受賞した赤﨑先生から、このようなものをいただいて大変うれしいです。これからも勇気をもって前に進みたいと思います」。ノーベル賞授賞式の様子をテレビで見て感動したという小野寺暁(あきら)さんは、「LEDは理科の授業でも勉強したので身近に感じます。震災後、暗くなった街にLEDのイルミネーションが飾られ明るくなりました。震災に負けず、将来は理科の先生になりたいです」と力強く語りました。山崎校長は「子どもたちが将来、立派な科学者になれば素晴らしいことですが、自分の好きな職業とか、夢に向かって進んでくれればいいと思います。素晴らしい色紙は子どもたちの大きな励みになり感謝の気持ちでいっぱいです」と語っていました。
贈呈式は、名城大学卒業生で気仙沼市職員として復興業務の最前線で仕事をしている広瀬宜則さん(1981年理工学部土木工学科卒)が名城大学と気仙沼市教育委員会との仲介役を務め、実現しました。広瀬さん自身も気仙沼小学校の卒業生で、児童代表の一人、広瀬史華さんは広瀬さんの二女です。
気仙沼市立小学校?中学校
卒業生の皆さまへ
卒業生の皆さま、ご卒業おめでとうございます。
皆さまは、東日本大震災を乗り越えて、今新しい人生のステージに向かわれ、期待と不安で胸がいっぱいであろうと思います。私どもは、気仙沼市役所に勤務されている名城大学の卒業生とのご縁で、平成23年6月からのべ13回663名が気仙沼市大島へボランティアとして、災害復興のお手伝いをさせていただきました。
この復興ボランティア活動を通して、皆さまの強い心と温かい笑顔に触れ、学生たちは大いに成長し、同時に本学と気仙沼市の皆さまとの強い絆を育んできました。
さて、皆さまもご存じのことと思いますが、昨年10月の本学赤﨑勇終身教授のノーベル物理学賞受賞は、学生?教職員をはじめ、日本中に勇気と希望をもたらしました。20世紀中には不可能といわれた青色LEDを半世紀に及ぶ不屈の挑戦により実現させた赤﨑先生は、本学の誇りであります。
皆さんには、無限の可能性があります。これから先、困難に直面したとき、赤﨑先生のように、不屈の精神で前に進んでください。記念すべき新しい門出が、皆さまにとって、勇気と希望に満ちたものとなることを願って、赤﨑教授からの皆さんへのメッセージをお届けします。
平成27年3月4日
名城大学学長 中根 敏晴